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ハ・ヨンジョ

『ハ・ヨンジョ』

統一教会を辞めた人間にとって「韓国」と聞くだけで
嫌悪感がする人が多いと思う。

私もそうだった。しかし、ハ・ヨンジョを知ってから
韓国に対する思いが全く変わってしまった。

あなたにも是非ハ・ヨンジョの講開説教を聞いて欲し
い。私は断言します。あなた自身が別人のように必ず
変わります。


http//japan.cjntv.net/
世界のための福音の通路CJNTV
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文鮮明の愛は

* 文鮮明のいう愛はアガペーの愛なのかを考えてもらうために
  書きました。


  【愛】

   愛と訳されているヘブル語の意味には、そうすべき義務がない
   にも関わらず、そして受けるに値しない相手であるにも関わら

   ず、誠実に寛容を示していくという要素が含まれ基本的には
  「親切」と訳しうる言葉である。 

   聖書には「神は愛である」(第1 ヨハネ 4:8)とある。
   人間の愛は条件つきの愛であり、神の愛は無条件の愛である。

   真実の愛は無条件で犠牲を払う。 
   神は価値のない罪人を無条件に愛しておられる。 

   聖書の愛の定義、

  「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は
   自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分

   の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばず
   に真理を喜びます。

   すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを
   耐え忍びます。愛は決して耐えることがありません」
              1 コリント 13章4-8

  * 愛の箇所にキリストの名を入れるとぴったりすると言われてい
   る。

   愛は原語で神の愛をあらわす「アガペー」が使われている。

  「アガペー」はもともとは「打ち負かされない善意」と言う意味
  であると言われている。
 

   聖書では愛という言葉を区別している。

   アガペー 神の人間に対する愛、無条件の愛。無償の愛。
        相手のためにいかなる犠牲と代価をも惜しまずに払お

        うとする犠牲的愛。

   エロース 自己中心的愛。性的な愛。対象の価値を求める愛。
        見返りを求める愛。

   ストルケ 家族に対する愛。親子の愛。(血のつながりが条件
        である)
        従う愛。尊敬を含む愛。師弟関係にある愛。
        
   フィリア 相互依存的愛。友人に対する愛、隣人愛。
        自分を与えることで他人を生かす愛。 

   聖書では、神の人間に対する愛、人間の神に対する愛、
   人間の人間に対する愛の三つに愛を分けている。

   エロースは、自己に関心を払う気持ちが含意されていて、
   自己を満足させる価値を求めるものである。

   アガペーは全く反対である。それは他者の福祉を、
   犠牲を払ってさえも促進しようと求める精力的な善意である。

   愛は無関心というかたちをとりません。

   愛の試金石は犠牲である。
   犠牲を払うことこそ愛の真髄である。

   ------------------------------------------------

   「愛とは、第一に、サービスだと思います。
   自分の立場から腰を上げて、人の身になって仕えることです。

   第二に、犠牲を払うことです。
   本当の愛は請求書を発行しません。時間やお金ばかりでなく、
   自分のメンツや自分自身をも差し出すのです。

   第三は、分かち合うことです。
   自分の持っているよいもの、喜びや永遠のいのちを惜しみなく
   隣人と分かち合うことです」
           『みことばの泉』 羽鳥明 

  「もしキリストが死なれなかったとすれば、私たちは決して
   キリストの愛の高さ、深さを知らなかったであろう。

   また父なる神が御子を与えて死なせられなかったならば、
   その深い愛をさぐることができなかったであろう」
           『朝ごとに』 C.H.スポルジョン
 
   ------------------------------------------------

 
    

  「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛して下さった。
   それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、
   永遠の命を得るためである」
            ヨハネ 3:16 

  「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを
   愛してくださって、わたしたちの罪のためにあがないの

   供え物として、御子をおつかわしになった。
   ここに愛がある。

   愛する者たちよ。神がこのようにわたしたちを愛して
   下さったのであるから、わたしたちも互いに愛し合う
   べきである」
            第1ヨハネ 4:10、11 


  「愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもの
  で、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。
   愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです。

   わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、
   わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりま
   した。ここに愛があります。

   いまだかつて神を見た者はいません。わたしたちが互いに愛し合
   うならば、神はわたしたちの内にとどまってくださり、神の愛が
   わたしたちの内で全うされているのです」
             ヨハネ第一 4:7、8、10、12 
   
  「私の目には、あなたは高価で尊い。私はあなたを愛している」

  “Very Important Person in God's Eye.”
                 イザヤ 43:4 

  「愛は、すべてを完成させるきずなです」
                 コロサイ 3:14      

   

  「愛には偽りがあってはならない」
                 ローマ 12:9

  「あなたが何をしたかではなく、あなたがどれだけ愛を込めたか
  が重要なのです」
  「愛の欠如は最大の貧困です」
                 マザー・テレサ 

   統一原理では、神の愛は親の愛と同じように教えている。
   そして、真の親は文鮮明夫婦であるという。
 
  統一教会の愛こそ条件付きの愛である。


  「女がその乳のみ子を忘れて、
   その腹の子を、あわれまないようなことがあろうか。

   たとい彼らが忘れるようなことがあっても、
   わたしは、あなたを忘れることはない。

   見よ、わたしは、たなごころにあなたを彫り刻んだ」
                イザヤ 49:15、16

  「聖書は、『神は愛である』と私たちに教えています。
   神は愛を持っている、と言っているのではありません。

   神は愛そのものなのです。愛こそ神のご性質の中心を
   なすものです。

   あなたは神の愛を受ける特別な対象として造られました。
   神がその愛を与えるために、あなたを造られました」
     『人生を導く5つの目的』 リック・ウォレン 著

   
  「かつて、あなたのために死んでくれる人がいましたか。
   その人こそ、本当にあなたを愛している人です」

  「キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てに
   なりました。それによって私たちに愛がわかったのです」
                ヨハネ 第一 3:16

メシヤ観の決定的相違


『メシヤ観の決定的相違』

 旧約聖書はキリストの到来を予期させ、その道備えをするために書
かれている。

「イスラエル民族は、この民族を通して『すべての国民が祝福を得る』
ために神が創始されたものである。

偶像礼拝の世界のただ中に来るべきキリストの背景として、唯一の神
がいますとの理念を打ち立てることであった」
             『聖書ハンドブック』 H.ハーレイ

 しかし、メシヤの旗の下に世界を統治する政治的王国こそ、イスラ
エル民族の待望であった。

彼らの心は個人の永遠の救いよりもむしろ彼らの国の政治的独立に向
けられていた。

弟子たちも政治家になろうとする希望からイエスに従っていた。イエ
スがメシヤとして政治的な世界帝国を建設した際には、大臣になるこ
とを期待していた。

彼らは霊的関心ではなく、物質的、この世的関心からイエスに従って
いたのである。

 イエスは、人々の抱いたメシヤ像を拒否している。真のメシヤ、そ
のお方は十字架上の死を通し、罪の贖いを成就なさるお方であり、イ
エスご自身もその道をまっすぐに歩もうとされている。

しかし、イスラエル人にとってそれはまさに、恥辱、敗北以外の何も
のでもなかった。

 イエスは使徒たちの心を変えようとされた。
現実生活での実際問題の中で、イエスが弟子たちを取り扱い訓練して
おられる。

イエスの御国は、政治的王国ではなく、人々の心を治め、心の支配に
よって生活を変えることであった。


 「イエスは答えられた、わたしの国はこの世のものではない。
  もしわたしの国がこの世のものであれば、わたしに従っている者
  たちは、わたしをユダヤ人に渡さないように戦ったであろう。

  しかし事実、わたしの国はこの世のものではない」
                   ヨハネ 18:36
 
 「それとも、わたしが父に願って、天の使いたちを十二軍団も、
  今つかわしていただくことができないと、あなたは思うのか。

  しかし、それでは、こうならねばならないと書いてある聖書の
  言葉は、どうして成就されようか」
                   マタイ 26:53、54


 * 聖書の中のイエスが語ったことばだけを読み、イエス・キリスト
  の人格に触れることをおすすめします。

真理とは何か?

真理とは何か?

原理=真理ではない。
真理=理論ではない。


真理とは実在の顕現であり、事物の本質を意味する。
真理の認識は理論的ではなく、実存的である。


「神の真理は絶対です。
 真理を真理とさせるのはこの人またはあの人が

 それを支持しているという事実ではありません。
 真理は本質的に真理なのです」
   『正常なキリスト者の働き人』 ウオッチマン・ニー

「聖霊があなたを素直にして下されば、
 真理が目の前に置かれたとたんに、あなたは信じるで
 しょう。真理が本物だから信じるのです」
             C.H.スポルジョン

「真理には抽象的真理と具体的真理があります」
「人は理屈や道理では本当に自由にはならないのです」

「イエス・キリストが心の真ん中におられる時、私たちは
 罪に打ち勝つ力を持つのです。イエス・キリストという
 具体的真理が私たちを本当に自由にして下さるのです」
             『みことばの泉』 羽鳥 明 


「わたしたちが意識してキリストにつながっている時に、
 わたしたちは自由を得ます。

 もとよりそれは、自分の古い性質や自我意思の自由を
 いうのではありません。

 すべての自我意思からの自由、天的自由、新しい性質
 の力によって、なんでも望むものを求めることのできる
 自由です。そして、それは成るのです」
  『絶えず祈りなさい』 アンドリュー・マーレー


「イエスは彼に言われた。
『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。

 わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに
 来ることはありません』」
              ヨハネ 14:6

「真理はあなたがたを自由にします」
              ヨハネ 8:32

「兄弟たちよ。あなたがたが召されたのは、実に、自由
 を得るためである」
              ガラテヤ 5:13


「主は霊である。そして、主の霊のあるところには、
 自由がある」
              コリント第二 3:17


  イエス・キリストを罪からの救い主、人生の主と信じれば、
心のうちに聖霊がおられることを体験として知ることができ、

罪が赦されていることを実感としてわかり、天国に行ける確
信が与えられる。これは、キリスト者の動かされない事実で
あり、真理である。


<関連>統一原理

文鮮明 死亡

 
 いつかこの日が来ると思っていたが、突然のニュースに驚いた。

食口の皆さん、今こそ統一教会のウソに気が付くチャンスです。

地上天国はならなかったのです。もう騙されてはいけません。


「今は恵みの時、救いの日です」
        コリント第二 6:2


今こそ、真理に目を覚ます時です。

私は統一教会に入っていなかったら、「救い」がわからなかったし、

イエス・キリストによって救われることがなかったかもしれない。

統一教会は私にとって必要な道筋であったと思う。

このブログは食口が救われるために準備したものです。

<関連>救い
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