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メシヤ観の決定的相違


『メシヤ観の決定的相違』

 旧約聖書はキリストの到来を予期させ、その道備えをするために書
かれている。

「イスラエル民族は、この民族を通して『すべての国民が祝福を得る』
ために神が創始されたものである。

偶像礼拝の世界のただ中に来るべきキリストの背景として、唯一の神
がいますとの理念を打ち立てることであった」
             『聖書ハンドブック』 H.ハーレイ

 しかし、メシヤの旗の下に世界を統治する政治的王国こそ、イスラ
エル民族の待望であった。

彼らの心は個人の永遠の救いよりもむしろ彼らの国の政治的独立に向
けられていた。

弟子たちも政治家になろうとする希望からイエスに従っていた。イエ
スがメシヤとして政治的な世界帝国を建設した際には、大臣になるこ
とを期待していた。

彼らは霊的関心ではなく、物質的、この世的関心からイエスに従って
いたのである。

 イエスは、人々の抱いたメシヤ像を拒否している。真のメシヤ、そ
のお方は十字架上の死を通し、罪の贖いを成就なさるお方であり、イ
エスご自身もその道をまっすぐに歩もうとされている。

しかし、イスラエル人にとってそれはまさに、恥辱、敗北以外の何も
のでもなかった。

 イエスは使徒たちの心を変えようとされた。
現実生活での実際問題の中で、イエスが弟子たちを取り扱い訓練して
おられる。

イエスの御国は、政治的王国ではなく、人々の心を治め、心の支配に
よって生活を変えることであった。


 「イエスは答えられた、わたしの国はこの世のものではない。
  もしわたしの国がこの世のものであれば、わたしに従っている者
  たちは、わたしをユダヤ人に渡さないように戦ったであろう。

  しかし事実、わたしの国はこの世のものではない」
                   ヨハネ 18:36
 
 「それとも、わたしが父に願って、天の使いたちを十二軍団も、
  今つかわしていただくことができないと、あなたは思うのか。

  しかし、それでは、こうならねばならないと書いてある聖書の
  言葉は、どうして成就されようか」
                   マタイ 26:53、54


 * 聖書の中のイエスが語ったことばだけを読み、イエス・キリスト
  の人格に触れることをおすすめします。
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