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原理用語 め



【恵み】 カルトの団体では救いはただでは与えられない。
   受けるためには現世で多大の奉仕か献金をしなければならない。


   恵みは一方的に与えられるもので、何かの働きによって与えられる
   報酬とは違う。受けるはずのないものを、受けること。

  「彼らは、価なしに、神の恵みにより、キリスト・イエスによる
   あがないによって義とされるのである。

   神はこのキリストを立てて、その血による、信仰をもって受くべき
   あがないの供え物とされた。それは神の義を示すためであった」

  「あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。
   それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。

   決して行いによるのではない。それはだれも誇ることがないため
   なのである。
   わたしたちは神の作品であって、良い行いをするように、キリスト・イエス

   にあって、造られたのである。神は、わたしたちが、良い行いをして
   日をすごすようにと、あらかじめ備えて下さったのである」
                 エペソ 2:8~10


  「もし人の救いが自分の努力と修養の結果であるとするならば、
   自分が得意となってしまいます。おそらく謙遜にもなれず、

   同情も無く、また自分でできたと思えば感謝もなくなる
   ことでしょう。

   何の価値もない罪人が、神の恵みと愛によって、
   キリストのいさおしによって救われたと思うとき、
   どうして高慢になれましょう」
            『救いは今です』 沢村五郎 著

  「人々が救われるのは、その人々の側に何かがあるからではなく、
   また人々の中にある何ものかによるのでもありません。

   ただ限りなく愛、善、あわれみ、同情、仁慈、
   つまり神の恵みだけによるのです」

   「救いは、最初から最後まで、
    ただ恵みだけからでるものです」
   「信仰そのものも神の賜物なのです」
       『ただ恵みによって』 C.H.スポルジョン著


  「あなたが救われるのは、あなたがキリストをとれえている
   ことによってではない。
   キリストがあなたをお救いになったのである」
           『朝ごとに』 C.H.スポルジョン


  「神をつかんだ、救いを自分の手に入れた、と思っているなら
   大間違いですよ。私たちの信仰なんて弱いですからね」

  「あなたが神をつかんだのではありません。神様が初めから
   あなたをつかんでいて下さっているのです。
   神様の手は疲れたりしません」

   救いは神ご自身にあります。
   私の力、私の信仰、私の善行、私の知識ではありません」

             
  「私たちが求める以前に、イエス・キリストの十字架によって、
   罪を解決して下さっているのです。

   私たちが『神の子』となる道を開いて待っていて下さり、
   また招いていて下さるのです」
          『みことばの泉』 羽鳥明 著

  「溺れていた人が、差し出されたロープにつかまって助かった
   としましょう。

   彼が、どんなふうに自分がロープを握ったかをとくとくと話
   したら、たいへん滑稽でしょう。
   彼はロープを差し延べてくれた人に感謝するだけで十分なのです」
         『コリント人への手紙第一、第二』 竿代照夫 著


   与えられる価値のない者に与えられる特別なかえりみを
   恵みといい、私たちが求める以前に、イエス・キリストの
  十字架によって、罪を解決して下さっている。

  <関連>救い、聖化、福音、義認、あがない

【メシヤ】 聖書の原語は油注がれた者という意味。

    メシヤ=キリスト=文鮮明となっている。

   「文鮮明先生は人類の救世主、メシヤ、再臨の主、
    真の父母であられることを、宣布します」
               『平和訓経』より抜粋

    文鮮明の自己申告であり、お付の霊媒師が霊界からのメッセージ
    として証ししているだけで、客観的に検証できるものはない。

    内向きには「自分はメシヤだ」と語り、
    外向きには「信者が勝手に自分のことをメシヤだと信じているが、
    自分はメシヤだと言ったことはない」とはっきり発言している。

    二枚舌は伝統であり、統一教会の教義が入った段階で、
    メシヤは文鮮明であることを初めて明かすが、財産奪取、
    人生奪取をして後戻りのできない状態にしている。


    イエス・キリストのほかに人類を救うことのできる者はいない
    というのがキリスト教の本質であり、それ以外の人物(文鮮明)が
    
    人類の救い主であるというのはありえない。
    再臨のキリストはイエス本人である。 

    聖書ではキリストは天地を造られる前からおり、
    天地はキリストによって造られていると書かれている。

   「御子は見えない神のかたちであって、すべての造られたものに
    先だって生まれたかたである。万物は、天にあるもの地にあるものも、

    位も主権も、支配も権威も、みな御子にあって造られたのである。
    これらいっさいのものは、御子によって造られ、御子のために
    造られたのである。

    彼は万物よりも先にあり、万物は彼にあって成り立っている」
                   コロサイ1:15-17

   * 統一教会では文鮮明が天地を創造したとは思っていない。
    三位一体の意味がわかっていない。

   <関連>神、第二の神、キリストの神性、無原罪性、われわれ
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